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チョコレートの歴史(1)
〜マヤ文明から17世紀まで〜

2014.11.21

チョコレートの原料となるカカオの木の学名を“テオブロマ”と名付けたのは、18世紀半ばの植物学者、カール・フォン・リンネです。これはギリシア語の「神(theos)」と「食物(broma)」を合わせた言葉。古代マヤ文明を起源に、神様からの贈り物として誕生したチョコレート。その素晴らしい“遺産”はどのようにして生まれたのでしょうか。長い道のりを振り返ってみましょう。

古代メキシコで生まれた“神々の食べ物”

チョコレートの原料となるカカオは、紀元前1100年頃のマヤ文明の時代から、メキシコ南部や中央アメリカなどのメソアメリカ地域で栽培されていたとされています。最初はカカオの実の中にある果肉や繊維のみ食べられていましたが、じきに種も食用にされました。紀元前のオルメカ文明・イサパ文明の遺跡からは、炭化したカカオ豆が出土しています。

人類にカカオをもたらしたとされる、アステカ神話のケツァルコアトル神。

人類にカカオをもたらしたとされる、アステカ神話のケツァルコアトル神。

チョコレートを初めて人類に紹介したのは、古代メソアメリカ人にもっとも崇拝されていた神々の一人「ケツァルコアトル」という“空気の神”だと信じられていました。ケツァルコアトルは人類に知識を与えてくれる存在で、それまで神々だけの食べ物であった、チョコレートととうもろこしを人類に与えたとされています。このため、カカオは人々からたいへん珍重され、儀式にも使われました。

16世紀のアステカ王モンテスマ

16世紀のアステカ王モンテスマ

当時のチョコレートは「ショコラトル」とよばれる飲み物でした。カカオ豆は乾燥させたものを炒り、殻をとり除いたのち、「メターテ」と呼ばれる平石臼に入れ、すり棒の「マノ」を用いて粉砕。当時の人々は器に入れたカカオの粉を少しずつ水で溶かし、とうもろこしの粉やトウガラシ、アチョテ(食紅)を加えて泡立てて飲んでいたそう。16世紀にアステカ人のもとを訪れたスペイン人には、口に合わなかったようです。
カカオはお金としても扱われ、長い間高貴な人しか飲めない贅沢品でした。16世紀のアステカの王、モンテスマは、黄金のカップでこれを飲み、ショコラトルの入った水差しを1日50杯、召使いに運ばせていたとか。強壮剤としても使われていたそうです。

ヨーロッパに渡り、チョコレートは“甘い飲み物”に

チョコレートに初めて出会ったヨーロッパ人はコロンブスで、アメリカ大陸を発見した1429年とされていますが、彼はカカオの価値を見いだせず、持ち帰ることもありませんでした。その後の16世紀、メキシコに遠征し、アステカを征服したスペインの将軍、フェルナンド・コルテスはカカオの薬としての効用や金銭的価値に気づき、1528年にスペイン国王カルロス1世に献上。また、コルテスに付き添った神父や修道士もカカオを持ち帰り、メキシコからスペインへの輸出が始まりました。カカオはとても高価で、愛飲したのは王侯貴族。おもに薬として用いられました。ここでようやく、カカオの苦みを打ち消すため、砂糖やバニラなどが加えられるようになったようです。

17世紀のロンドンのチョコレートハウス。上流階級のお客でにぎわったそう。

17世紀のロンドンのチョコレートハウス。上流階級のお客でにぎわったそう。

チョコレートの製法は、しばらくはスペインが独占し、チョコレートが他国へ広まったのは17世紀。1606年、スペイン宮廷に使えていたイタリア商人、アントニオ・カルレッティによって、チョコレートはイタリアへ。またスペイン王フェリペ3世の娘、アンヌ・ドートリッシュが1615年にフランス国王ルイ13世に嫁いだ際、チョコレートを持参しました。のちイギリスにも伝わり、1657年にはフランスの業者による、ロンドン初のチョコレートハウスが開店。上流階級の人々の会合の場となったようです。1661年にはルイ14世がスペイン王女マリア・テレジアと結婚。チョコレート好きのマリアはチョコレートを飲む道具一式と、お抱えショコラティエを連れて輿入れしたため、フランスの上流階級に一気に広まりました。こうしてチョコレートはヨーロッパ各地へ伝播していったのです。

【参考文献】
『チョコレート ロマンのあるスイート』ノーマン・コルパス著 葛野友太郎 訳 モロゾフ株式会社(非売品)1981
『チョコレートの文化誌』八杉佳穂著 世界思想社 2004
『チョコレートの世界史』武田尚子著 中公新書 2010
『カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン』佐藤清隆・古谷野哲夫著 幸書房 2011

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2014